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数値シミュレーション2 厚生


前回のシミュレーションでは、労働者の賃金交渉力 \beta を変化させました。結果は以下にまとめられます。

  • \beta が低いと、賃金も失業率も低め
  • \beta が高いと、賃金も失業率も高め


すなわち、労働者にとって、\beta は単純に高ければ良いというわけではありませんでした。では、労働者の賃金交渉力はどれくらいが望ましいのでしょうか。それを判断するには、「労働者全体の厚生」を計算する必要があります。


経済学において「厚生 (welfare)」とは、全員の利得を合算したもので、いわばその経済の良し悪しのバロメーターです。サーチ・モデルの労働者の利得は、生涯所得です。生涯所得は、失業中の人が W_0,就業中の人が W_1 でした。人口は失業者と就業者がそれぞれ u1-u なので、全員の生涯所得を合計したものは

    \begin{eqnarray*}uW_0 + (1-u)W_1\end{eqnarray*}


です。これが「労働者全体の厚生」の指標となります。労働者の交渉力 \beta を変化させながら、この値がどう変化するか見れば、このモデルの労働者たちにとって望ましい \beta の値が見つけられます。


「労働者全体の厚生」は労働者のみを考えた指標です。これとは別に、企業のことも考慮した「経済全体の厚生」という指標もあります。こちらは、労働者の利得に、企業の利得も合わせた、経済の良し悪しの指標です。


企業の利得は、利益です。企業が生み出す利益の現在価値は、充足状態のジョブが V_1,欠員状態のジョブが V_0 で、それぞれのジョブの数は 1-uv でした。したがって、企業の厚生は (1-u)V_1 + vV_0 であり、労働者と合わせた「経済全体の厚生」は、

    \begin{eqnarray*}uW_0 + (1-u)(W_1+V_1) + vV_0\end{eqnarray*}


となります(注1)。(V_0=0 なので、最後の項は無関係です。)


以下が計算結果です(注2)。横軸が \beta で、0に近いほど労働者の交渉力は低く、逆に1に近いほど高くなります。その他のパラメータの値は前回のシミュレーションと同じです。図ではworkerとラベルされている赤い線が労働者全体の厚生、totalとラベルされている黒い線が経済全体の厚生です。



労働者の賃金交渉力が高過ぎも低過ぎもしないとき(図では0.7くらい)に、「労働者の厚生」が最も高いという結果になりました。先述したように、これは賃金と失業率のバランスを取っているためです。「社会全体の厚生」もグラフはほとんど変わりません(注3)。最大になるのは \beta が高過ぎも低過ぎもしないとき(図では0.65くらい)であることが分かります(注4)。


いかがでしたか。これらのシミュレーションの結果は、そのまま現実の政策に当てはめられるものではありません。それでも、変数間の複雑な関係を可視化し、私たちの理解を深めてくれます。それが、厳密な議論とモデルのさらなる改良の、出発点となってくれるのです。(終わり)


注1)実はこれは「毎期 (y-b)(1-u) + (-k)v を生み出すことの割引現在価値」に等しくなることが数式的に証明できます。

注2)正確には、r/(1+r) を乗じたもの(=割賦価値)をグラフ化しています。

注3)これは、このモデルにおける企業が設備などの資本を保有せず、労働力だけに頼って生産しているためです。

注4)理論的には \beta=1-\alpha のときに社会全体の厚生が最大になることが、A. ホシウスによって証明されました。あまり直観的でない不思議な結果ですが、これは企業の採用コストに関わっています。\beta が低いと、企業は採用活動をし過ぎて、採用のコストを出費し過ぎる。逆に \beta が高すぎると、企業は採用活動をしなさすぎるのです。