カラ約束ゲーム4.カラ約束問題を逆手に取る
「賄賂(わいろ)」と聞いてどんなものを想像しますか。大物政治家が企業から菓子折りを受け取って、「越後屋、お前も悪よのう」と言うシーンでしょうか。それとも落第しそうな息子の学歴のために、学校に金品を送りつける社長でしょうか。
インド人経済学者のコーシク・バス (Kaushik Basu)が「ハラスメント賄賂」と呼んだものはちょっと違います。ハラスメント賄賂は、市民が税金還付を申請するとか、証明書を発行してもらうなどの行政サービスを利用する際に、担当する公務員からサービスの料金とは別に金銭を要求されるものです。観光地でラクダに乗ったあと、降りる際にまたお金を要求されるのに似ています。もともと社会的地位が高い人はこのような要求から無縁ですが、立場の弱い人は仕方なく要求に従います。
インドではもともと「贈賄(ぞうわい)」は「収賄(しゅうわい)」と同罪でした。金品を送る贈賄を取り締まることが、賄賂を減らすのに役立つという考え方ですが、バスの考えは違いました。バスは逆に、ハラスメント賄賂を渡すことは無罪にした方が、賄賂は減ると考えたのです。「そんなバカな」と思う人もいるかもしれませんが、「カラ約束のゲーム」を勉強したみなさんの中には、「それはそうだ」と思う人もいるでしょう。バスの主張はこうです。金品を渡す方も同罪ということにすると、いったん賄賂が渡されたら、受け取った人と渡した人の利害が一致してしまいます。渡した人は賄賂を贈ったことを認めず、捜査に協力しないでしょう。
バスの主張はそれだけではありません。賄賂は、「渡した人は、賄賂について他言しない」という約束のもとに成立します。渡した人も同罪となる社会では、この約束は信頼できる約束ですから、もらう側も安心して受け取ることができます。しかしもし、賄賂を渡すことは無罪である社会であったら、他言しないという約束はカラ約束になります。賄賂を渡した人はいつでも、「5年前にあの人に10万円を賄賂として渡しました。あのときは仕方なかったのですが、今返してもらいたいです。あの人を捕まえてください。」という自由があるからです。越後屋が口をつぐんでいることにコミットできない以上、悪代官はお金を受け取れません。
実際にはさまざまな状況があり得るので、実際に「贈賄は無罪」とすることにプラスの効果があるかどうかは未知です。それでも、バスの発想が理論的に面白いことには変わりありません。バスのアイディアを応用すれば、武士に領土を手放して欲しくない幕府は、「武士は領土を売ったら罰せられる」という法律を作るより、「武士は土地を売っても罰せられない。売った土地は、あとから無償で取り戻せる」という法律を作った方が効果的です。未成年への酒類の販売や、ヤミ金融の抑制に応用することを思いついた人もいるかもしれませんね。
さて、コミットメントが難しい例の1つが、自分自身との駆け引きです。相手が自分自身では、法律も人質も通用しません。次回はそんな話です。
>> カラ脅しとカラ約束(9)今日の私と明日の私