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モデルの仮定を批判する① 近視眼的な消費者


モデルは現実を分析するための模型世界です。単純化されていることがモデルの利点であり、「リアルでない」というだけでは、モデルの批判になりません。仮定を変えることで、モデルの結論も変わるという根拠がある場合のみ、「仮定がリアルでない、もっと複雑なモデルにするべき」という批判が成立します。


例えば、45度線モデルでは、人々の消費は現在の税引き後所得の増加関数であると仮定されます。今の所得が低ければ消費は抑えるし、税金が安ければ消費を増やします。これは現実的な仮定でしょうか。実際には現在だけでなく、来年、再来年、さらにその先々までの税引き後所得の見通しも大事ではないでしょうか。


「日本政府の借金は、国民1人あたりに換算して◯百万円だ」などと言われ始めたとき、当初は「自分の借金ではない」と言って気にしない人もいたでしょう。しかしその後消費税は引き上げられ、医療費の個人負担も増加し、国の借金を返すのは自分たちなんだと、多くの人が悟りました。洗練された消費者であれば、将来増税が起こると思えば、今のうちに消費を切り詰めておこうと思うかもしれません。


国が減税したり、景気対策を行なったりしても、現実の消費者は今のうちに節約しておこうと思うかもしれないのです。45度線モデルの言葉で言い表せば、「政府が税金Tを下げたり、支出Gを上げたりしたとき、人々が限界消費性向c_1を小さくしてしまう可能性がある」ということです。もちろん、45度線モデルはそのようなことを想定していません。したがって、45度線モデルに基づいて景気対策の効果を評価している人に対しては、効果を過大評価しているという批判ができます。このような批判は、モデルを踏まえた議論をするという、経済学の大事な習慣の一例です。


ところで、人々は目先の所得や減税だけに影響されながら消費を決めるのでしょうか。それとも、先々の所得や増税の見込みを全て考慮しながら、長期的な消費プランを立てるのでしょうか。だいたいその中間であるような気もしますね。これは「リカードの中立命題 (Ricardian equivalence)」や「恒常所得仮説 (permanent income hypothesis)」とも関わってくるマクロ経済学の重要なトピックなので、またの機会にお話ししたいと思います。


次回は45度線モデルが「需要主導のモデルである」という批判を紹介します。

>> GDPの45度線モデル(13)モデルの仮定を批判する② 需要主導