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向こうがOKならこっちもOK

アメリカの上空から、果てしなく続く山地や森林を眺めたことのある人は、自転車でアメリカ大陸を横断するということが、いかにとんでもない大冒険であるか想像できるでしょう。小説『シフト』の主人公クリスは、親友のウィンと高校最後の夏にそれを計画したとき、当然のごとく母親の反対に合いました。


母親は「ウィンの両親がいいと言ったら、自転車旅行に行ってもいい。ウィンの両親がダメと言ったらダメ。」という条件を出します。一方ウィンの父親は、「クリスの両親がいいと言うのなら行ってもよかろう」と言います。さて、二人はどうしたでしょうか。ウィンは「クリスの両親はいいと言っている」と言って親の許可を得、クリスの方は「ウィンの両親は許可している」と言って親の許可を得ます。ちょっと親をだましたような後ろめたさを感じる二人ですが、ゲーム理論的には何の問題もありません。どちらの親も「先方の親が許可するなら」と言っており、どちらの親も許可しているのですから、条件は成立しています。


前回の話では、「右側通行」で落ち着くのも、「左側通行」で落ち着くのも、ありがたみは一緒でした。しかし、ときによって、お互い本当は右の方が良いと思っているのに、左で落ち着いている、という場合があり得ます。相手が左側通行しているのに、自分だけ右を行きたくはないと、お互いに思っている場合です。クリスとウィンの両親の選択にも似たような側面があります。親たちはともかく、クリスとウィンにとっては、「双方とも許可」になってくれた方がありがたいのです。「双方とも不許可」に陥らないように、二人は親たちの決定をうまく調整したと言えます。


右か左か、定まらずにランダムな状態になってしまうのも「調整の失敗」と言いますが、お互いに右に落ち着くのがベターだと思っているのに、左で落ち着いてしまっている状態も「調整の失敗」ということがあります。互いに相手の出方を正しく把握できており、ランダムな状態にはなっていませんので、前回の「調整の失敗」とは意味合いが違います。


面白いことに、偶然かいなか、日本語の「すれ違い」も2つの意味で使われます。前回のように、出会いたい二人がたまたま別々の待ち合わせ場所に行ってしまったり、誤解や勘違いがあって行動が噛み合わないのも「すれ違い」です。一方、落ち着く状態が2つあって、良くない方に落ち着いてしまうことも「すれ違い」と言うことがあります。


例えば、ご近所同士のシゲル君とトモエさん。お互いに「相手が明るく挨拶してくれるのなら自分もそうしたいけど、相手がそっけないなら、自分もそうするのがいい」と思っている状況を考えてください。この場合、シゲル君は無視するのにトモエさんは明るく挨拶する、というようなことは起こりにくいと考えられます。お互いに明るく挨拶するというのが、ひとつの起こりそうな結果です。また、お互いそっけない、という状況も、残念ながら起こり得ますね。2人とも本当は明るく挨拶を交わしたいと思っていても、いったん「お互いそっけない」という結果に陥ってしまうと、なかなかそこから脱せないことがあります。これもある意味「すれ違い」です。


さて、ここまでの例はほとんど二人だけのコーディネーションでしたが、現実には、大勢の人の行動が調整されなければならない場面があります。次回は大勢のプレーヤーがいる文脈でのコーディネーション・ゲームを見てみましょう。

>> コーディネーション・ゲーム(3)パーティーに人を集めるには



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