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リヴァイアサン

囚人のジレンマやベルトラン競争のような状況で、プレーヤーたちが協調を達成する方法の1つめは、代表者に一定の権力を与え、全員を監督してもらうことです。これの良い例として、K. Shepsle の政治経済学の教科書に出てくる「本当にあったのか怪しい逸話」を紹介しましょう。


19世紀末の清、イギリスから旅行中のとある貴婦人が、長江の河岸で舟を引っ張る労働者の集団を見かけて絶句します。その労働者たちが、鞭を振りまわす「ムチ男」に監視されていたからです。貴婦人はガイドに言います。「あんな野蛮な扱いは、西洋のような近代社会では絶対に許されません。」

これに対し、普段はお客の言うことには必ず同調するガイドが、遠慮がちに答えます。「畏れながら奥様、たぶん奥様は誤解していらっしゃいます。あのムチ男は、舟を引っ張っている男たちに雇われているのでございます。必死に舟を引っ張っているとき、周りの人間がしっかり引いているか手を抜いているかを見極めるのは困難です。あの男はそこに目をつけてビジネスを始めたのですよ。自分を雇ってムチを持たせれば、さぼっている仲間を見つけて叩いてやるぞと言ってね。だからあの労働者たちは、報酬を払って監視役を頼んだのです。ごらんください奥様、実際にムチが振われなくても、みんなちゃんと引っ張っているでしょう。ムチ男がいるというだけで、みな安心して仕事に集中できるのですよ。」(筆者訳)


この逸話に出てくるムチ男は、高校の倫理に出てくる、ホッブズの「リヴァイアサン」にイメージが似ています。 「やりたい放題する自由」を皆が持ち寄ってリーダー(王様)に差し出すことで、秩序が保たれ安心して暮らせるようになる、という権力正当化の理論です。以前出てきた「すき焼き鍋を囲むハングリー・アスリートたち」の例ですと、全員が自分の取り箸を誰か一人に差し出して、あとはこの鍋奉行が取り分けるのを待っていれば、問題は解決するということになります。もはや抜けがけは不可能か、全く得でない行為となるので、状況は囚人のジレンマではありません。協調は達成され、権力を与えられた者がそれを濫用しない限り、平和な日々が続くでしょう。


この考え方によれば、元祖「囚人のジレンマ」は、一人だけ自白して釈放された者を罰する怖い親分がいれば解決しますし、新卒採用の青田刈りや稚魚乱獲は、厳格な解禁日を敷ける業界団体や組合があれば解決します。


さて、青田刈りを防ぐために解禁日を敷くくらいなら問題はありませんが、「値下げした企業を業界団体が罰する」というような取り決めは、国や時代によっては法律に違反する場合があります。そこで次回は、明示的な取り決めなしに、どうやって暗黙のうちに協調が達成されうるかを考えてみましょう。

>> 協調の達成(2)家電量販店の方法



本の紹介

Analyzing Politics, 2nd edition
政治学に、ゲーム理論の視点からアプローチした教科書。本文で紹介したような面白い逸話に富んでいます。